だから、大好き。
人は、自分が抱いている本当の感情をありのままで言葉にしようと思うと、言葉が少なくなる。面白いことも言えない。だって、人はそれほど面白いことを思っていない。面白いことは、思うのではなく、作るもんだ。岡田監督は面白いことをほとんど言わない。それは、言葉を作らないからだと思う。
だから、岡田監督が笑っている時は、心から笑顔になれる時。
笑顔を誘発する感情が、心の底から湧き上がって来た時。
そんな監督が、笑っている場面、たくさん見た。
心の底から湧き上がる「歓喜」を、「本当の笑顔」で表現してしまう、
嘘のつけない、47歳の男の姿をいっぱい見た。
多くの政治家がテレビで見せる笑顔とは正反対の笑顔。
打算、計算、社会人として見せる、そんな「おとなの」笑顔ではない。
「嬉しいから」「笑ってしまう」、理屈ぬきの「少年の」笑顔だ。
そんな人だからこそ、一般的な基準では計りえない鋭い感性を持ち合わせていたのだと思う。
誤解を恐れず言えば、その感性って、誰もが子どもの頃には持っていた感性。
でも、大人になるにつれ失い続けてきた感性。
岡田監督って、それを極限まで保ち、逆に育て、壮年期を迎えた人なのではないだろうか。
「47歳になって、理屈ぬきで笑って泣ける男」
そんな男にぼくもなりたい。
物凄い次元で「感じる人」岡田彰布が作りたかったチーム。
それは、選手個々から発せられるストレスが最小限に抑えられる、そんなチームだと思う。
「仕事だからしかたがない」
「役割だからしかたがない」
これをゼロにすることは不可能。
ぼくの職場にだってあるし、おそらくこれを読んでくださっている皆さんの職場、教室、
そこにもこの種のストレスはきっとあることだと思う。集団から発されるストレスの集合体。その場所が抱えるストレス。
ありませんか?
ただ、それを
「あることだから、仕方ない」と割り切ってしまうのと、
「できるだけなくしたい、だってそのほうがいいから」と努力するのでは、
想像を絶する違いが差が出てくる。
端的に数字で現れているのが、阪神と巨人のゲーム差。
25ゲーム。
よく分からない差だけど、「よく分からないほどの差があった」と考えるのが正しいと思う。
チームが抱えたストレスの差が「25ゲーム」だったんだ。
3番を打っていた金本が割り切っていたものを4番に動かし解放し、
2番を打っていた赤星が割り切っていたものを1番に動かし解放した。
1番を打ち、本人も気づいていなかったであろう今岡の得点能力を、5番に動かし引き出した。
金本、今岡に対する、リスペクトを自然に持ち、かつ「繋ぎ役」が好きでそれをすることによって欠点が補われるシーツを3番に配し、
バッティングの負担をできるだけ軽くするため、矢野は7番だった。
最も悩んだであろう6番と8番は、どちらかのストレスが大きくなりすぎないように、最初から最後まで、二人を交互に使った。
ただ、このスタメンで出ていた、8プラス2の10人の選手の中で、
最もストレスを感じやすかったのは、当然桧山だと思う。
そしてその桧山と監督の間で、「割り切り」ではない「納得」の合意があったのではないだろうか、桧山が心から笑っている姿を見てそう思った。
「桧山にはほんまにすまんと思ってる、でも、スペンサーに感じる部分があるんや」
「それは分かりますよ。金本さんも赤星も外せないですからね。そしたらライトしかポジションないですから。分かってますよ」
「すまん。分かってくれて、ありがとう」
「ぼくが監督でも、きっとそうしますよ」
こんなやり取りがあったかどうかは知らない。
でも、この次元の納得がなければ、終盤にきての桧山の活躍はなかったと思う。
心から併用を認めていた、桧山が素晴らしいし、
それに最大級の「すまん」を持って接していた監督も素晴らしい。
出番が少なかった控えの選手に関しても、おそらく同様の配慮があったのだと思う。
野口、秀太、浅井、久慈。
「不慮の事態に備える仕事」
難しい仕事だけに、当然そこにストレスは生じる。
でも、それは、最小限ではなかっただろうか。
楽天に行き、虫の息だった楽天をなんとか支えた沖原の活躍を誰よりも喜んでいるのは岡田監督だと、ぼくは思っている。
岡田さんって、そういう人だ。
さらに付け加えると、雄弁ではない岡田監督は、
それゆえ「当然のこと」が多い人だろうと思う。
「当たり前のこと」は「当たり前だから」話さない。
よくテレビの解説などで「JFKばかりが注目されますが、橋本、江草、桟原の活躍も見逃せない」そんな話を声を大にして発言している場面を耳にする。
おそらく、監督にしてみたらそのようなことは、あまりに当たり前のことなのだと思う。
負け試合に登板する投手が、その仕事を「当たり前に大事な仕事」そう感じることができるくらいに、それを「当たり前にみんなありがとう」そう感じていたのだと思う。
だから岡田監督が言う「みんな」は、注釈ぬきで「チームに携わったみんな」のことだ。それが伝わらないのがイヤで、「裏方さん、スタッフも含め」みたいなことも不器用に喋っていたけど、そんなことは分かっているんだ。
岡田監督は本当に「みんな」を思う人。
「みんな」に「ありがとう」を思い、
「みんな」が気持ちを解放していることを「嬉しい」と感じる人。
だから球児は泣けるんだ。
あんなにも、あんなにも素直に抱きしめあって泣けるんだ。
心を解放しきった矢野さんと、ともにがんばってきた久保田の表情を見て涙が出てくるんだ。
岡田タイガースを見ていると、
「感じることは、ええことなんや」
そう、後押しされている、そんな気持ちになる。
感じるからしんどいこともあるし、感じなくてもいいイヤな思いを持ってしまうことがあるけど、でも、感じるからこそ強い部分があるんだ、って球児の涙がそのことを教えてくれた。ゲームセット直前の泣いてるのか笑ってるのか分からない今岡の表情もそのことを教えてくれた。ウイニングボールを取ってすぐ、赤星と目を合わせたアニキの横顔を大好きだと思った。二岡を三振に打ち取った時の下柳先輩のガッツポーズにまたジブリを感じた。打席にはまだ8番の関本が立っているのに、6番のスペンサーが打撃フォームのチェックをベンチの後ろのほうでやっていて、やっぱり監督はそのスペンサーをもう一打席、打席に送った。そしてやっぱり矢野は、一番笑っていた。
みんな大好きだ。
ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに素晴らしいチームだ。
無策を講じる勇気を持った、言い訳をしない、嘘をつかない野球。
そんな野球が、そんなチームが優勝した。
2005年の奇跡、遂に完結。
ぼくはそのチームを司った将、岡田彰布を、「真将」と呼びたい。
全てが真実、真の心を持った、「真将」岡田彰布。
心から、ありがとう。
もう、たくさんの気持ちが溢れ出して、
言葉はこれしか見つかりません。
だから、言わせてください。
2005年の全ての真実に、
心から、ありがとう。
書きながら泣いちゃいました!!笑 クリックでblogランキングへ