タイガースでは久保田。
他の球団でもたくさん越年している選手が出ているみたいで。
そして保留した選手のコメントで頻繁に耳にするのが、
「金額はともかく、評価が低い」
野球選手がどのくらいの給料を貰えばいいのか、ぼくには分からないけど、
ただ、評価については思うところがあります。
「10−0で勝っている試合の8回に打ったホームラン」と
「その試合の序盤。まだ0対0の時に打った進塁打。結果的にその進塁打が大量点のきっかけとなった進塁打」
この二つのうちどちらを高く評価するか?
無論、後者の進塁打であって当然で、
テレビの解説や、翌日のスポーツ紙、監督の談話なんかでも、
「序盤の進塁打がキーだった」なんて話がなされます。
でもシーズンオフ。いざ契約の話になると、
打率、ホームラン、打点。
結局この数字が話題のメインになって、
あの時の進塁打なんて全く忘れらてしまう感じ。
あの場面でセカンドゴロを打ち、
監督もチームメイトも「よくやった」と迎えてくれた、
あの空気に対する気持ちを、
そして自分の後の打者がタイムリーヒットを打って得点した時の充実感を。
打点もつかない、得点もつかない、
むしろ打率が少し下がった、
記録上、一凡打。
だけどそれによってチームが勝つ。
打った人の前には必ず、打ちやすくした人がいる。
それが打線。
ならばその線が機能して、優勝したとしたなら、
その線を構成した全ての人が評価されるべき。
ダウン提示だったからではなく、
藤本や関本の(査定上の)評価が下がっているというニュアンスの報道は、
残念でなりませんでした。
確かに藤本は凡退しているイメージが強い。
でも、大事な場面で凡退した後、守備でファインプレーをする姿もよく見た。
その姿がチームの士気を高め、
いいムードでそのゲームを押し切ったという試合だってあったに違いない。
その、センター前にぬけそうな強いゴロに飛びついたときの藤本の気持ちを、
「打率が低い」
と評価するのは、それってうまく評価できていない。
「部活動もボランティア活動も素晴らしい。思う存分やりなさい」
と言われて、部活動やボランティアや行事ごとを、
思う存分精一杯やってきた中学生が、
3年生になって、
「で、おまえはあまり勉強してないから、この辺の高校にしか行けないな。
まぁサボってたのはおまえだから仕方ないな」
と言われた時の感じと似ていると思う。
「先生、オレが頑張ったから文化祭はあんなに盛り上がったんだ。オレがやらなかったらあんな風にはならなかったって、あの時もそう言ってたじゃないか」
「だけど、おまえ勉強してないだろ?模試の結果だって今ひとつじゃないか」
「じゃあオレは文化祭のとき、何もしないで受験勉強してれば良かったんですか?それで文化祭は盛り上がりましたか?」
「まぁ、それなりにはなったんじゃないか?で、努力したのはおまえだけじゃないだろ?クラスメイトや先生方の協力もあって成功したんじゃないか。それを勘違いしたらいかんと思うがなぁ」
ただ実のところ、個人的にタイガースの査定は、
優勝したこともあると思うけどそれほどひどくはなかったと思っている。
(関本、藤本、桧山の評価が低かったことを除いて。今岡は評価が高すぎる気がしましたが・・・)
球児も結果的には上がったし、スペンサーも残留した。
何年間か継続して結果を残してこそというのは、とてもよく分かるので、
鳥谷や杉山あたりはあの感じで妥当だと思った。
ひどいと感じるのはドラゴンズ。
井端の評価が低いことがとても残念だ。
井端は現在のプロ野球界屈指の名選手だ。
最も給料が高くたっておかしくないと思う。
邪推だが、尊敬する井端選手がこのような気持ちでいまだサインしていないかと思い、
たとえ話に当てはめさせてもらいたい。
かなり誇張した表現にはなるけど、
だけど焦点にズレはないと思います。
「確かに優勝はできませんでしたが、オレがいなかったら優勝争いもできなかった、ってそう言っていたじゃないですか?」
「だけど、君は打点がそれほど多いわけじゃないだろ?打率だって福留君より低いじゃないか?」
「じゃあ、例えば1点差で負けていて、ノーアウトで荒木が出塁したんです。その場面でオレはホームランを狙えばいいって言うんですか?」
「いいじゃないか、2点入るしね」
「荒木が盗塁するかも知れないじゃないですか?」
「盗塁するのは荒木君だろ?」
「でも荒木の盗塁をより成功しやすくするために、相手に送りバントの可能性を示唆して、オレはツーストライクまで打たないということをよくやっていました」
「それは監督の指示で?」
「いえ、自分の判断です。そういう野球ですから」
「ただね、荒木君の盗塁が成功したとして、その後、君がタイムリーヒットを打っていればもっと打点が増えていたと思うんだがね」
「その時はすでにカウントが悪くなっていることが多いですし、追い込まれた場面でヒットを狙うよりも、ファールを打ちながらカウントを稼いで四球で出塁して、ウッズや福留や立浪さんで得点するほうが・・・もう、いいです」
特に今年の契約更改にはこのような空気を感じる。
野球の変化に査定スタイルがついていけていないということだと思う。
「中継ぎの評価が低い」って、多くの中継ぎ投手が怒っているのも、
きっと同じ理由だ。
打った人の前には必ず打ちやすくした人がいて、
抑えた人の後には必ず、抑えやすくした人がいる。
打ちやすくした人が作ったツースリーというカウントを、その後に打ったセカンドゴロを、
抑えやすくした人が作った「あいつが出てくる前になんとかしなければ」という相手チームの焦りを、もっと評価してあげてほしい。
これは日本の社会全体の問題かも知れないけど、
井端的な活躍を職場でしている人が評価されにくい。
ぼくが感じている憤りはそこへと繋がる気がする。
来季のジャイアンツは強いと思う。
なぜならそれは、当然のように清水がレギュラーであるという「当然」、
当然のように小久保が4番でありキャプテンであるという「当然」。
原監督はその「当然」に非常に意識的であり、敏感な人だと思う。
その「当然」をもってすれば、
ドラゴンズの井端や、井端的な活躍をする周囲の人たちは、
「当然、最も評価されるべき人材」だと思う。
チームを強くしたいと思うならば、
社会をよりよくしたいと思うならば、
その「当然」は「当然」でなければならない。
そして我らが将、岡田彰布もその「当然」にとても意識的な人であり嬉しい。
だって、彼の口癖は、
「そら、そうよ」