頭を洗い、顔を洗い、髭を剃り、体を洗う。
そして入浴剤を入れた熱い湯船に体を沈め、息を吸って息を吐く。
冬に固まった筋肉、特に野球をやっていた中学、高校時代に痛めた腰の影響で、
ふとももの裏が張る。
だから湯船に沈んだ後、まずはふとももの裏を伸ばすストレッチをする。
すると、次第に血が通ってくるのが分かる。
ふくらはぎもマッサージして、腰も指圧する。
汗が滲んでくる。
首の裏や肩をできる範囲でまた指圧。
そして目を閉じる。
何も見えない状態の中に、お湯が揺れている気配を感じる。
石鹸や、お湯の匂いも感じることができる。
耳を澄ます。
お湯が揺れている音を聴く。
仕事のことや、世間の喧騒を頭から取り除いた時間、空間。
湯船に沈む前に、換気扇はスイッチを切る。
目を閉じたとき、その機械音は、湯船に沈んでいる自分と矛盾するから。
湯船の音を聴き、
匂いをかいで、
湯船に沈んでいたはずのぼくは、
しだいに湯船から浮き上がってくる。
そして、お風呂はおしまい。
この記事を読んだ。
http://www.sanspo.com/baseball/top/tig200601/tig2006012502.html
強引にまとめると、
岡田監督が、「古田は選手であって監督やったら、何回マウンドに行くことが許されるのか?
と監督会議でちゃんと決めときたいと思っている」という内容
見出しには「古田に挑発」とか、書いてあるけど、おそらくそんなことはない。
岡田さんはきっと、
気になるんだと思う。
強引に結び付けようと思ってお風呂のことなんて書いてみたけど、
ぼくが、「いざ湯船へ」という時に換気扇のスイッチを切るように、
岡田さんは「曖昧なものを気にしながら試合をする」ということが、
試合中の自分と矛盾するのだと、そう思った。
そんなものは別にどっちでもよくて、心の隅に排除したまま、
作戦や投手交代を考えることができる監督だっていると思う。
明日の仕事のことを考えながら、風呂に入るみたいな、
「入る」という行為に関して言えば、あまり「入れていない」お風呂と同様。
それは采配のようでいて、実はあまり采配できていない「采配っぽい」采配。
岡田監督はあまり策を講じない。
だけど、試合中の彼は驚くほどその采配に没頭しているんじゃないか、ってそう感じた。
だからこそ、「曖昧さ」という異物がとりわけ気になる。
「曖昧さを気にしながら試合を行っていく状態」と「その時の自分」が矛盾する。
言い換えれば「彼が考える野球」と「それ」が矛盾するんじゃないかな?
そんなことを感じた記事でした。
ま、考えすぎかな?笑
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