それは、
桧山のホームランだと思う。
アニキの、ボールにバットが当たる衝撃で、ボールが焦げ付くようなホームランとも違い、
濱中や今岡が見せる、憂鬱も引き連れて大気を舞うようなホームランとも違う。
もちろん、
藤本やスペンサーが時折見せる、ボールが「スマイル」マークに見えるホームランとも違う。
桧山のホームラン。
トムソンガゼルやインパラような草食動物が見せる、一瞬の跳躍に近いか、
或いは、
新緑の雨上がりに、大空に描かれた虹のよう。
桧山のホームランは美しい。
その美しさの正体は。
その正体は「チームと桧山」というキーワードの中にあると思う。
たとえば、と、想像してみる。
学生時代、その多くの時間を過ごした友人9人がいるとする。
「卒業してからも、ずっと遊ぼうや」
そう言って、それぞれの道を歩んだ9人が、
卒業してからもその関係を保つことは、当然ながら難しい。
「それぞれの暮らしがあるし、しかたないよな」
そういう言葉で関係性は片付けられて、
年賀状が唯一の交流ということは、珍しいことではないと思う。
しかしそうならずに、
その関係性が持続する場合もある。
そのチームには必ず「求心力のあるリーダー」がいる。
ただそのリーダーがそのチームに対するモチベーションを持ち続けることも難しい。
だからリーダーだけで、いい状態のままチームは存続しづらい。
じゃあそこには誰がいる?
「リーダーにはならなくとも、そのチームを安定して愛し続ける人」
愛し続ける、その持続力に長けている人が必ずいる。
桧山進次郎。
彼はそういう人に見える。
桧山が放つライトスタンドへのアーチは、
チームを愛し続けた人が放った、
その長い時間がもたらした回答なんだ。
だからこそ美しく、
ぼくは桧山のホームランに魅了される。
甲子園の夜空、
逆風の浜風のはるか上を、
桧山が費やした気持ちが舞い、
ライトスタンドへ、着地する。
桧山がチームを愛してきたならば、
その時間は桧山を愛してくれる。
日本一になったとき、誰の胴上げが見たいって?
桧山の胴上げにきまってるんだ。
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