こうして、パソコンの前に座り、キーボードをタイピングしながら、
「そのこと」を書こうとすると、
本当に、本当に多くの感情がフラッシュバックして、溢れ出して、
なんだか、不安定になってしまう。
でも、書きたい。
そう思いました。
ぼくも去年、奥さんとともに闘病生活を送っていました。
奥さんは、とても重い精神の病でした。
とても感受性の強かった幼少期、
彼女はその頃に、本当に多くのつらいことを経験していました。
気がつけば彼女は、その「つらいこと」「しんどいこと」から、
身を守るために、
「つらいこと」「しんどいこと」を感じない自分を作り上げていました。
8歳くらいから、そうでした。
「しんどいこと」を感じない自分は、当然しんどくないのですが、
それに伴って、様々な感情を失いました。
「嬉しい」「楽しい」「信じる」「大好き」
8つの頃から10数年、彼女はその種の、
「人が人として生きている意味」とも言える感情を感じないまま、
「本来の自分」とは違う自分で生きていました。
気がつけば、「本来の自分」なんて、なくなっていました。
対してぼくも、
奥さんほどに重度ではありませんが、そういう部分がありました。
子どもの頃から大人過ぎたことによる弊害。
その症状が顕著に出てる青年でした。
「できる自分」であること。
「他人から尊敬される自分」であること。
その鎧で弱い自分を守るため、
周囲に強く見せるため、
無理を無理とも感じなくなって、
ぼくは超人的な暮らしをしていました。
「本来の自分」
それから遠ざかっていることに、
自分では気がついていませんでした。
そしてある時。
ぼくは、奥さんのことを好きになりました。
それでもまだ、心の中に小さくくすぶっていた、
「本当の自分」
その自分が、奥さんの中で、また本当に小さくくすぶっていた
「本当の彼女」を好きになりました。
そして、偶然。
奥さんも同様の状態で、ぼくのことを前から好いてくれていました。
彼女の中にかすかに残ってくれていた、
「人を好きになる」
という感情が、
ぼくを好いてくれていました。
付き合うことになり、
すぐに一緒に暮らし始めました。
しばらくして、奥さんは、大きくバランスを崩しました。
自分の思ったことを話し、自分の好きな人と一緒にいること。
奥さんはそのことが、自分の中で処理できませんでした。
「感じる」ということはイコールで「弱いこと」。
それを土台に形成された「感じない」「強い彼女」は、
「感じること」に必死に抵抗しました。
でも、「感じたかった」本来の彼女。
でも、8歳で止まったままの彼女。
感じてしまうと何もできない、8歳の彼女。
そして、失いかけていたはずの「本当のぼく」は、
そんな彼女を前にして、
みるみる膨れ上がっていきました。
忘れていたはずの、様々な感情。
それが甦りました。
「彼女を守りたい」
「大好きだから、守りたい」
自分が動くために、たくさんの理屈と理論武装が必要だったぼくが、
その思いだけで全てを決めました。
奥さんは24時間、
ずっと一緒にいなければならない状態でした。
その日に雇い主のところへ行って、
事情を話し、
「申し訳ないけど、とりあえず2週間休ませてほしい」
そう言いました。
雇い主は、快諾してくれました。
「本当のこと」を「本当の気持ち」で話せば、わかってもらえるんだ。
ぼくは、そんな当たり前のことにようやく気がつきました。
劇的に変化していく自分の内面。
肥大する、本来的な自分を必死に感じ、
なんとか均衡を保ちながら、
ぼくは奥さんと、
ずっと一緒にいました。
「強い奥さん」とも「弱い奥さん」とも、
たくさんたくさん話しをしました。
一進一退。
一進一退。
そしてまた、
一進一退の繰り返し。
「感情を取り戻そう」
「感情を取り戻した上で、生きていける強さを手にしよう」
誰も信じることのなかった「強い奥さん」に、
まずはぼくを信じてもらうところから、全ては始まりました。
思いつく限りのことをやりました。
思いつく限りのことを話しました。
「何でそんなに私のことを気遣うの?」
「大好きだからに決まってるやろ」
「嫌いにならへん?」
「嫌いにならへん」
「こんな病気やのに嫌いにならへん?」
「嫌いにならへん」
「何で?」
「大好きやから」
「大好きやったら、嫌いにならへんの?」
「そうやで。大好きやったら嫌いにならへん」
そんな風な同じやりとりを、
毎日毎日、何百回もしました。
そしてある朝、
「強い奥さん」は、
「ぼくのことを信じる」
と、そう言ってくれました。
そして、笑ってくれました。
ぼくは、本当のぼくは、
分からなくなるまで泣きました。
0が1になりました。
まだまだ、一歩も家の外に出れない状態だったけど、
0だったものは1に変わり、
そこから、二人で、
前を向いて、ゆっくりゆっくり歩き始めました。
一人を信じることができた奥さん。
本当の友達もできました。
発症当日、仕事を休みたいと申し出た雇い主は、
「家に一人でおいとけない。でも働かなければ、暮らせない。だから、一緒に働かせてくれませんか」
という、それはそれは我がままな申し出を、
「別にかまへんよ」
そう快諾してくれました。
その後、もちろん全てがうまくいったわけではないけど、
また一進一退、一進一退を繰り返しながら、
少しずつ、少しずつ、
奥さんは快方に向かっている途上です。
今では「やりたい仕事」も見つかって、
「しんどい」「やめたい」と毎朝言いながら、
「でも、頑張りたい」
と言って、一生懸命出かけていけるようになりました。
「しんどい」けど「やめたい」けど、「頑張りたい」。
何も感じなかった奥さんは、確実に快方に向かっています。
・・・・・・・・・・・・
安藤の先発回避のニュースをきき、
そんなことを思い出しました。
矢野のあんな表情を見て、
お世話になった、いろんな人のことを思い出しました。
安藤投手へ
今はただ、あなたの一番大切な思いを、大切にしてください。
ぼくは、そうして本当に良かったです。
ぼくも、うちの奥さんも、
そんな安藤投手が大好きです。
背番号16がマウンドに立つ姿は、
いつまででも待ってますから。
だから、今は、一番大切な思いを、大切にしてほしいと、
一タイガースファンは、
思っています。
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